女王降誕祭
ルヴァ編
〜1〜
「女王降誕祭……」
首を傾げたアンジェリークの頬に、栗色の髪がさらりとかかった。
「そうだよ、主星にもあったでしょ」
軽やかに、オリヴィエは言う。
ここはオリヴィエの執務室だった。薄紅色の床に、大きな鏡が設えられた壁。窓の面積が広く、いつも明るい光が差し込んでいる。
メッシュで色分けした金の髪、宝石をふんだんに使っていながらごてごてした感じにはならない流れるような衣装、部屋に負けない艶やかな微笑みで、オリヴィエはアンジェリークを見下ろす。
「聖地ではね、女王が空に星を映すんだよ」
「星を……映す?」
主星でも女王降誕祭はあった。初代女王が生まれた日とされ、祝日となる。街は華やかに飾り付けられ、誰もが家族や大切な人と過ごす日だった。
アンジェリークの疑問に、楽しそうにオリヴィエが答える。
「そうだよ。初代女王の時代から数えたら、星の位置は今とは違っているからね。それをね、初代の頃の星空から始めて、どんな風に星が移動していったか、女王陛下が聖地の空に再現するんだ。ゆっくりと星が動いていく光景は、とっても綺麗なんだよ。それでね、聖地には、今年その星を一緒に見た人とは、来年も一緒にその星を見られる、てジンクスがあるんだ。永遠に、じゃなくて、来年も、てところが、女王陛下も憎いよね。あ、ジンクスだから女王が決めたわけじゃない、か。ま、だからさ、よかったらその日、私と一緒にその星を見ない?」
「はあ……」
突然の誘いに、アンジェリークが戸惑っていると、ますます可笑しそうにオリヴィエは言った。
「今決めなくっていいんだよ。あんたみたいな人気者は、これからみんなに声をかけられると思うからさ。でも、最後に誰を選ぶか迷ったら、白いストックは私にちょうだい」
「白いストック?」
そういえば、数日前から、庭園の傍の花屋さんの軒先に、大量の白いストックが飾られていた。
「そう、複数の方にお誘いを受けた女の子が『ごめんなさい』を言わなくてもいいように、ね。女の子は当日までに、決めた相手に白いストックを渡せばいいの。渡されなかった男は、潔く諦める。でも、ね」
意味深な流し目でアンジェリークを見て、オリヴィエは付け加えた。
「誘ってくれなかった男に渡すことはできないからね。最後に決めるのは女の子だけど、その代わりに、最初に決めるのは男の方、そういう、ルールだからね」
「はあ……」
相槌を打ったつもりだったが、微妙にため息になってしまった。
くすっとオリヴィエが笑った。
「まあ降誕祭は明後日だからね」
それからアンジェリークの肩を叩くと、執務室を出て行くように促した。
「お誘いの正式なスタートは今日だから。あんたを独り占めしていたら、私、呪われちゃうよ」
じゃあ行ってらっしゃい、と含み笑いのまま言われて、アンジェリークは廊下に出された。
だけど……。
あの方だけは絶対誘ってくれないと思うの。
まっすぐにあの方の執務室に行く気にはさすがになれず、アンジェリークは宮殿の廊下を当てもなく歩いていた。
聖地に来た頃は、何度も迷子になりかけた宮殿だが、あまり奥へ入り込まないようにさえすれば、迷うことはなくなった。でも、あんまりぼうっと歩いていたら、迷っちゃいそうね、とアンジェリークは頭を振って踵を返した。その時だった。
「よう、お嬢ちゃん、迷ったのか?」
「ま、まだ迷ってません!」
思わず言い返してしまってから、自分で「まだ」を付け加えていたことに気がつく。
くすっとオスカーが笑った。
「それはよかった」
妙に優しい声音に、アンジェリークはどきりとする。
「ところで」
オスカーがいっそう顔を近づけながら言った。
「お嬢ちゃんは降誕祭のことを知っているか?」
「は、はい……オリヴィエ様から……聞きました」
「へえ、あいつが」
意外そうにオスカーは呟く。
「それなら話は早い。俺は、お嬢ちゃんの白いストックを待ってるぜ」
「う、嘘ばっかり!」
アンジェリークは即座に突っぱねるように叫んでいた。
「嘘は、ひどいぜ」
オスカーがちょっと顔をしかめて言った。
「だって、オスカー様は、女の子にすごい人気があるじゃないですか」
とてもじゃないが、「お嬢ちゃん」のアンジェリークに興味があるとは思えない。それともオスカー様、女の子全員に言ってるの? だけど、そんなことしたらたくさんの女の子がストック持っておしよせるよね。
「そういうお嬢ちゃんの方こそ、すごい人気だと思うが」
オスカーは妙に楽しそうにくつくつと笑った。
「まあ、いい。お嬢ちゃんがノーなら、俺は一人で星を見るさ」
じゃあな、迷うんじゃないぜ、と本心の読めない笑顔を浮かべて、オスカーは去って行った。
なんだかどっと疲れが襲う。
こうなったら、ちゃんと育成でもしよう。えーっと、闇の力が必要とされていたわね。
アンジェリークはクラヴィスの執務室に向かった。
育成のお願いが済み、アンジェリークが満足して立ち上がりかけた時。
ぽつりと、クラヴィスが言った。
「お前は降誕祭の星を、誰かと……見るのか?」
「え、えーっと……」
クラヴィスまでこんな話をするとは思っていなかったので、アンジェリークは焦りまくる。クラヴィスが続けて言う。
「私のところには……いつもリュミエールが、――白いストックを持ってやってくる」
リュミエール様と見てるんだあ、と妙に納得し、ふと疑問が浮かぶ。あれって女の子が渡すんだよね。リュミエール様はそれを知らない、のかしら。
「アンジェリーク」
「は、はい!」
囁くように呼びかけられて、思わずアンジェリークは返事をしてしまう。
「私と星を見ないか?」
頭の中が、真っ白になる。言われると思ってもいない人から、あまりにもはっきりと言われたので、それも、この微笑は何? なんなの?!
アンジェリークが混乱して無言のままでいると、フッとクラヴィスが笑った。
「冗談だ」
こんなこと、冗談で言わないで欲しい。アンジェリークは情けない顔でクラヴィスを見返していた。
「お前には、ストックを渡したい相手が既にいるのだろう?」
クラヴィス様にまで、ばれてる……。アンジェリークの肩から、力が抜ける。
「あの者は、今日、庭園へ行くと言っていた」
「でも……」
「行くがいい」
アンジェリークはしぶしぶクラヴィスの執務室を退室し、庭園へ行くことにした。律儀に行くことはなかったのだが、彼女自身、彼に会えることをどこかで期待していたのかもしれない。
庭園では明後日の降誕祭のための飾り付けが始まっていた。作業をしている人があちこちにいる。街灯や街路樹に、電飾やオブジェをぶら下げていく。
あの方はよく林の近くや、東屋の辺りにいるよね……とアンジェリークは庭園の中を歩いて行った。
「おーい! アンジェリーク」
大声で呼ばれて、アンジェリークは振り返った。
息をきらして駆けて来たのは、ランディだった。手にストックを持っている。
「よかった、ここで会えて」
息を整えると、彼は少し照れ笑いを浮かべながら言った。
「はいこれストック。渡したからね。俺を選んでくれると……その、嬉しいんだけど」
「えーっと……」
押し付けるように渡された白いストックを、アンジェリークは受け取って、そして、何を言い返したらいいのか、困った。
ランディ様は、これが女の子から渡す物だって、知らないのかしら。
「ばーか!」
声がランディを罵った。
「それは女の方が男に返事として渡すもんなんだよ。てめーが先に渡したってしょーがねーだろ」
振り返った先には、ゼフェルが居た。彼はアンジェリークとランディのすぐ傍の木の上に座っていた。
するりと木を降りてくる。
「ほんと、お前ってバカだよな」
「え? そうなんだ」
ランディは少し驚いた顔をしたものの、ゼフェルの言葉にめげるでもなく、軽やかな笑顔のまま言った。
「どうりで花屋さんに変な顔をされると思った。ははっ。まあいいや、アンジェリーク。待ってるから――」
「あーーーー!!」
ランディの言葉が言い終わらないうちに、大絶叫と共に近づいてくる者がいた。
「アンジェリークったら、ストック持ってるー。もう誰に渡すか決めちゃったの?」
走ってきたのはマルセルだった。
飛びつくようにアンジェリークの腕にからみつき、マルセルは言った。
「ボクもお願いしようと思ってたのにー。ランディに決めたの、それとも、ゼフェルなの? ボク、まだ間に合う?」
すがるようなすみれ色の瞳に圧倒されて、アンジェリークは言葉も出ない。
「オレが女を誘うわけねーだろ!」
ゼフェルが不機嫌そうに否定した。
「え? どうして? だって、素敵なことじゃない。来年もその人と一緒に同じ星が見られるんだよ。ボク、アンジェリークと見たいなあ」
「あの、アンジェリーク……俺もさ……」
マルセルに言葉を遮られたランディは、さっきよりもっとしどろもどろに何か言い続けている。
「はっきり言えよ」
ゼフェルに冷たく指摘されて、ランディもさすがにむっとした顔を見せる。
「そういうゼフェルこそ、素直にアンジェリークを誘えばいいだろ。人の話を立ち聞きして、割り込んできたりしないでさ」
「オレが先にあの木の上にいたんだ! 文句があるならアンジェリークを自分の執務室へでも呼びつけて言やあよかっただろ!」
「ちょっと二人とも、喧嘩はやめてよー」
マルセルがアンジェリークの腕を放さないまま、声を上げる。
こんな状況で、アンジェリークに掛ける言葉はない。何を言っても、火に油を注ぎそうだ。
ジュリアス様とか、オリヴィエ様なら、この騒ぎも止められるんだろうけど。
「やあ、アンジェリーク、君もその花、もらったのかい?」
三人が騒いでいるのが、まるで目に入らないかのように、セイランが声を掛けてきた。彼の手の中には、ストックが三本、握られている。
「僕もこれ、リュミエール様とティムカとヴィクトールからもらったんだ。どういう意味だろうね」
彼にしては珍しく、真面目に考え込んでいる様子だった。リュミエール様、今年はセイラン様に渡すことにしたのね、とアンジェリークは複雑な気持ちになる。
「うわ、やば、それブラックストックやないですか」
通りがかりにそう口を挟んだのは、商人さんだった。日の曜日に庭園で商品を広げている彼は、平日もたまにこうして庭園に現れる。
「ブラックストック?」
セイランとアンジェリークが、同時に聞き返す。
「そうや。ちょっと見は白いストックなんやけど、良く見てみい、茎のところが黒いやろ」
「本当だ」
アンジェリークはセイランの持っているストックを見つめて言った。セイランの持っているストックは、確かに茎の部分が少し黒味がかっている。もちろん真っ黒ではないのだが、アンジェリークの持つ普通のストックと比べて、差は歴然としていた。
「んで、この花のおっそろしーところは、切って二日たつと、毒を出すってことなんや。花粉の中に猛毒の成分が含まれていて、吸い込むと解毒剤を使っても一週間は喋れんようになるんやなあ。あ、これはまだ大丈夫やな。花粉の色が変わってへん」
にこにこっと商人さんは言って、楽しそうに聞いた。
「そんなん束で抱えて、セイランさん、だれぞに恨みでもあるんですか?」
わはははっと明るく笑い飛ばして、商人さんははっと青ざめる。セイランが地獄の毒剣のような顔をしていたからだ。
「いいことを聞いたよ。つまりこれを渡した三人は、僕に一週間黙っていて欲しかったってわけか。それなら、それなりのお礼をしないと、ね」
背筋が寒くなるような笑顔を浮かべて、セイランはその場から離れて行った。
「……こわっ……」
そうや、と商人さんはまだ喧嘩している三人組みをちらりと確認してから言った。
「あんたのストック、オレも待ってる組みだから」
はあああああ、とアンジェリークは内心でため息をついた。
翌日の朝、質問があってジュリアスの執務室を訪れたアンジェリークは、ちょっとびくびくしていた。
降誕祭のせいだ。
みんなから嫌われているよりは、みんなから好かれている方が嬉しいに決まっている。それはそうなのだが、あんな風に揃って申し込みをされると、正直、戸惑ってしまう。それに、選ぶのは一人なのだと思うと、ますます複雑な気持ちになる。
本当は誘って欲しい方が、一番誘ってくれなさそうだし。
ジュリアスとの会話で、降誕祭の話が何も出なかったので、アンジェリークはちょっと拍子抜けした。
それで、部屋を出る前に、思わず自分から聞いていた。
「ジュリアス様は降誕祭をご存知ですか」
「もちろんだ。初代女王陛下の生まれた日とされる聖なる日だ。巷の人間のように、浮かれ騒ぐ日ではないだろう」
厳しい表情を崩さないまま、彼は言う。
悪戯心にかられて、アンジェリークは更に聞いた。
「じゃあ、ストックをご存知ですか」
「この時期に出回る花のようだな。よい香りだと思う」
それで、話は終了した。
つまり、ジュリアス様は聖地のジンクスとか、ストックの花の意味とか、知らないんだわ。心底ほっとして、アンジェリークはジュリアスの執務室を後にした。
聖地の中で、降誕祭に浮かれる人たちの理由を知らないのは、ジュリアスくらいなものだろう。さすが首座の守護聖だ。噂話とは徹底的に無縁らしい。アンジェリークは変なところに関心した。
お昼ごはんを食べに寮へ帰る途中、アンジェリークは占いの館に寄った。
「アンジェリーク。えへ、来てくれるなんて、嬉しいな」
男の子とは思えないほど愛らしい仕草で、メルがはにかむ。
「占いを、お願いしたいんですけど」
「うんいいよ。占ってあげるね」
メルが水晶球に手をかざすと、水晶球が淡く光ったように感じた。
「ふふ、相変わらず、アンジェリークはすごい人気者だね」
「え?」
びっくりしたアンジェリークに、メルがさらさらとメモを書いて見せた。
「数値にするとこんな感じ」
「うそ……」
全員と、親密度150、超えてるじゃない。何これ!
「知らなかったの? アンジェリーク、ずっと占い見に来てなかったもんね。メルは王立研究院の依頼で、毎週必ず見てたから、ずーっとアンジェリークはすごいなあって思ってたんだよ」
「私、何もしてないのに」
メルがにっこりと微笑む。
「そんなことないよ。アンジェリークは随分お話に行ったり、育成したり、頑張ってたじゃない。メルもみんなから聞いたよ。元気な挨拶も評判になってたし」
「そういうものでしょうか」
不安げなアンジェリークの問いに、うん、とメルは元気付けるように頷く。
「そうだ、降誕祭は、この方と過ごすの?」
メルが、親密度200の走り書きを、とん、と指差して聞いた。
アンジェリークは、答えられなかった。
えーっと、じゃあ、こっち? と別の方を指すメルに、アンジェリークは首を振った。
「あの方は、こういうことは、きっと、しないと思うんです」
そうなの? とメルは不思議そうにアンジェリークの顔を覗き込む。
「でも、親密度は片思いでは上がらないんだよ。きっと、相手の方も、あなたのことを思っていると思うけどなあ」
アンジェリークは俯いたまま考えた。そうかな。本当に、そう思っていいのかな。メルは続ける。
「メルはね、エルンストさんと王立研究院で観察することになってるの。お仕事ってことになるのかな。ちょっと残念。だから、アンジェリークには、楽しく過ごして欲しいなって思ってたんだけど」
メルの伺うような視線に、アンジェリークは俯いた。
「そっか、じゃあメル、おまじないだけ、しておくね。アンジェリークの、願いがかないますようにって」
にこっと微笑まれて、アンジェリークは言っていた。
「じゃあ、私……、頑張ってみます」
「うん」
メルに励まされ、恋のお守りまでもらって、アンジェリークは占いの館を後にした。寮へは帰らず、宮殿へ戻る。
そしてアンジェリークが辿り着いたは、地の守護聖の執務室だった。
秘書官に控えの間に通され、どうぞ、と執務室への扉を促される。
アンジェリークは息を吸い、ゆっくりと吐き出してから、ノック、した。
「アンジェリーク、どうしたんですかー。もうお昼ですよ」
「い、い、育成の、お願いに、き、来ました」
アンジェリークは緊張してどもりながら言った。
ルヴァはいつも通りの笑顔のまま、頷いた。
「分かりました。細かい打ち合わせは、午後にしましょうか。お昼ご飯はきちんと食べないといけませんよー。ここで、一緒に食べて行きませんか?」
ルヴァの部屋には明るく光が入っている。フローリングの床が光を柔らかく受け止めていた。アンジェリークをティーテーブルに促すと、ルヴァは秘書官に二人分の昼食の依頼をする。
ルヴァは普段通りに世間話をしながら、アンジェリークに微笑みかけた。彼女に笑いかける度に、ルヴァのターバンの端に垂れるあまり布が、ちょっと揺れる。緑色のローブに、白いロングベスト。この姿を見るだけで、アンジェリークは言葉を失うほどに感動する。
アンジェリークがなかなか切り出せないでいるうちに、昼食は食べ終わってしまった。
出された緑茶の湯のみを手の中に包み込み、暖かさを確かめながら、やっとの思いでアンジェリークは言った。
「明日は、……降誕祭ですね」
「あー、そうですねー。あなたたち女王候補もお休みしていいそうですよ。聖地のあちこちに飾りつけがされて、綺麗ですよねー」
ルヴァはにこにこと言う。でも、それだけ。
ルヴァ様は誰と一緒に星を見るんですか、と聞きたくて、聞けるわけもなくて、アンジェリークは黙り込む。
それっきり、ルヴァの話は別の話になり、午後は育成の打ち合わせをして、アンジェリークは彼と別れた。
もう、ため息さえ出ない。
分かっていたもん、こういう方だって。
ジュリアスとは違って、星を見るカップルのジンクスや、ストックの意味だって、ルヴァは知っているに違いない。だけど、誘ってはくれない。これは彼の最近の傾向でもある。日の曜日にアンジェリークの部屋へ来ることも、もうずっと、していない。元々、オスカー様と違って、女性をほいほい誘うような人じゃないし。そんなことも気にならないくらい、アンジェリークの方では彼を好きだったのだけれど。そういう方だと知っているし、そういう部分も含めて好きにはなったのだけれど。
何で誘ってくれないの?
アンジェリークはとぼとぼと、寮の自室へ帰った。
降誕祭の日も、聖地はいつもながらの穏やかな晴れた一日だった。
アンジェリークは寮の自室の窓から、庭を眺めてぼんやりしていた。
寮にいる女王候補の世話人たちも、朝から少し浮かれ調子だった。妙ににやにやしたり、声が上ずっていたり。寮での仕事は休みにはならないが、確か仕事は最低限しか割り振られてなくて、夕方からは完全にオフになるらしい。
昼食も済んで、アンジェリークにはすることがない。
レイチェルは、さっき出掛けたようだった。おしゃれをして、うきうきしていた。
「いいなあ」
一人だと、こんな本音がもれてしまう。
そりゃあ、多くの守護聖様に誘われて、嬉しくなかったと言ったら嘘になるけど、一番好きな人に声を掛けられないのなら、そんな自分に、どんな価値を見出せるだろう。他の方には、心の中では順位が無くて、そんな方たちの中から、一人を選ぶこともできないアンジェリークだった。
と、ノックの音がした。
慌てて出てみると、オリヴィエが立っていた。白い衣装でばっちり決めた彼は、にっこりと微笑んでいた。
「はあーい、アンジェリーク、迎えにきたよ」
「あ……」
アンジェリークは思わず言葉を失う。それから、いいわけみたいに言った。
「私、ストック用意してなくて」
「……ま、そんなとこだろーと思って、来たんだけどね」
オリヴィエはアンジェリークの言葉に全く引くこともなく、ずかずかと部屋の中に入ってきた。
「で、今日は一人でここに籠もってるつもりだったの?」
オリヴィエが、金の髪をさらりと揺らして部屋を見渡す。
「そういうのは、最低の選択だよ」
きっぱりと、言われる。オリヴィエ様なら、そう言うと、思っていた。
「やっぱり誘ってくれた人の中から、ちゃんと誰か選ばなきゃ。その人が特別な人じゃないないら、それはそう言えば済むでしょ。それでも今日という日を、一人で過ごすのは、あんたに声を掛けた男全員に対する、裏切りだよ。――ていうかさ、男ってバカだから、あんたが誰かを選んだなら、諦めがつくんだよね。選ばないとさ、本当はオレのトコロに来たかったのに、誰かが脅したんじゃないか……とか妄想しちゃうワケ。上下関係の激しい聖地だと、毎年誰かがあらぬ妄想で爆発するんだよねー。降誕祭の翌日は、喧嘩祭って呼ばれてるよ」
冗談めかしてそれだけ言うと、オリヴィエは優しい微笑みを浮かべた。
「と言っても、好きな人と過ごせないなら、誰とも一緒に過ごしたくはない、って思うのも、乙女心だよね。まー、そうじゃないかと思って、私もプレゼントは用意したんだ」
意味深な笑みを浮かべて、オリヴィエは言った。
「今日は執務はないし、こんな日だから殆どの秘書官には休暇を与えるんだ。で、残ってた秘書官も私が追っ払ったから、今、地の守護聖の執務室には誰もいない」
地の守護聖と言われて、アンジェリークの体が震える。
「で、私はこれでも腕に覚えはあるんで、ルヴァを縛り上げるのは簡単だった。このまま放っておいたら、明日の朝までルヴァは見つからないだろうねえ」
「な……」
ぱっと反射的に扉へ向かうアンジェリークの手を掴んで、オリヴィエはぐいと彼女を引き戻した。
「待ちなよ。今すぐに助けちゃったら、それで終わりだよ」
面白そうにオリヴィエは言う。
「でも」
「鈍い子だね。縛られて動けない間は、ルヴァはあんたのものだって、言ってるんじゃない」
「何言ってるんですか!」
「別に。わりと当たり前のことを言っただけだよ」
平然とオリヴィエは言う。
「そもそも縛ることが当たり前じゃないです!」
思わず叫び返すアンジェリークに、くすっとオリヴィエは笑う。
「ま、そうかもね」
オリヴィエがアンジェリークの手を放した。
「じゃあ行ってらっしゃい。私からのプレゼントだってこと、忘れないでよ。――それで、夜になってもやっぱり相手がいなかったら、私は振られ組と公園のカフェで騒いでるから、今度こそちゃんと、来てよね」
アンジェリークは振り返らずに部屋を出ていた。
何でオリヴィエ様がこんなことをするのか、分からない。
腹を立てながら、アンジェリークはルヴァの執務室へと急いだ。
執務室の前の廊下まで到着し、ノックをしても返事は無かった。扉をそっと開けると、確かに控えの間には一人も秘書官がいない。
そっと中へ入って、今度は奥の執務室の扉を叩く。やはり、返事はない。
アンジェリークはごくりとつばを飲み込むと、思い切って扉を開いた。
ルヴァの執務室のフローリングの床には、今日もやわらかな光が差し込んでいた。穏やかで静かな部屋の中には、誰も、いなかった。そう、誰も。
慌てて机の後ろにも回ってみるが、ルヴァの姿は見当たらない。
騙されたの?
そう思った次の瞬間、アンジェリークの視線が一つの扉を捉えていた。
そこは守護聖が宮殿に詰めている時に寛げるように設えられた部屋だと聞いている。それぞれの守護聖の執務室の隣に作られた、私室。そこには、秘書官だって簡単には入れない。アンジェリークは一度だけ、ルヴァの私室に入ったことがあった。ルヴァの私室にはやっぱり書棚がたくさんあって、本の整理を手伝ったのだ。
アンジェリークはドアノブに手をかけて、回した。扉を引くと、開く。
どきどきしながらそっと開けると、中は薄暗かった。
窓は元々少ない部屋だったが、光を遮るように、ブラインドカーテンが下ろされている。戸惑いながら見下ろすと、床にルヴァが倒れていた。
駆け寄ろうとして、足を止める。今更ながらに、オリヴィエの言った言葉が蘇ったのだ。
縛めをほどけば、それでおしまい。ルヴァ様は、笑って御礼を言って、そして、それでおしまい。
ルヴァは手を後ろ手に縛られ、足も縛られて床に転がされるように倒れていた。ご丁寧にも猿轡を噛ませて、目隠しまでしてある。
オリヴィエ様、やりすぎ……。
アンジェリークが入ってきた気配には気づいたようだが、相手が誰なのか分からないからだろう、探るような表情のまま、ルヴァはじっとしている。
なんだか急に力が抜けて、アンジェリークはその場に座り込んだ。
確かに、このまま永久に自分のものにしてしまいたい、と思うほどに、ルヴァが好きだった。このまま永久に。もちろん、そんなのは無理な話だけれど。
どうせなら、オリヴィエを好きになっていればよかったのに、なんて思ってしまう。
いつもふざけているように話すけれど、アンジェリークの気持ちを一番分かってくれているのが、彼なのは間違いがない。大好きなルヴァより、よっぽどアンジェリークのことを、分かっている。
今日だって、部屋まで迎えに来てくれた。
ルヴァは執務室で、何をしていたのだろう。何を、思っていたのだろう。
そもそもいけないのは、きっとあの全員と親密度150以上という数字ね。とアンジェリークは思う。つまり、自分のせい、自業自得ってわけ。なんだか嫌気がさしてくる。
だって、ルヴァだって、何も言わない人ではない筈なのだ。アンジェリークが連日、彼の執務室に通い出した頃は、嬉しそうに迎えてくれたし、かなり露骨に褒めたり優しい言葉を掛けてくれたりしていた。あの時の彼なら、「誘うのも礼儀ですよね」とか照れ隠しに言いながら、きっと降誕祭のお誘いをしてくれただろう。
それが、だんだんとそうじゃなくなった気がする。
そして、降誕祭には誘ってもくれなかった。
全ては、アンジェリークがみんなに好かれ出してしまったから。占いを見に行かなくなった時期と、ルヴァがだんだんとつれなくなった時期は、一致している。
アンジェリークは、思った。
女王になるのなんて、やめちゃおうかな。
みんなに好かれる代わりに、一番好きな人を失うなんて、何にも嬉しくない。
ふう、と小さく吐息を吐く。
ともかく、今は、彼の縛めをほどいておこう。
オリヴィエと違って、このまましばらく自分のものにしておく、というのは、やはり自分の性には合わないようだ。見ていると胸が締め付けられて、苦しくなってくる。
アンジェリークは彼の手の結び目に手を掛けた。複雑な結び目をしばらく眺めていたが、やがてするりと解き、さっと身を翻して、扉を出る。閉めてしまえばルヴァは闇の中。目隠しはまだ取らないままだったし、足も縛ったままだから、すぐには追いかけて来られないだろう。
だからアンジェリークは逃げ出した。
地の守護聖の私室から。
そして、宮殿から。
そして、そして、ルヴァから。
聖地の中をぐるぐると回って、最後にアンジェリークが腰を下ろしたのは、王立研究院の裏庭だった。
林の傍の1本の大きな木に寄りかかって座ると、なんだか全てが夢のように感じられる。
夕暮れの空に、星が瞬き始めていた。
何度も、庭園へ足を向けかけたのだが、どうしても、行くことが出来なかった。何もなかったかのように、笑ってオリヴィエの前へ出られたらいいのに、と思う。
だけど、明るく元気で誰にでも好かれることが、致命的な失恋の原因になるなんて、運命は残酷だ。
明日は喧嘩祭か。
明日には、元どおり明るく元気な自分に戻ろう。女王候補を降りるわけにはいかないし、そんなことをしても、ルヴァがもう一度自分を振り向いてくれるとは思えなかった。
確かに今のルヴァの目をアンジェリークに再度向けるには、オリヴィエが遠まわしに示したように、襲って脅して、迫りまくるしかない気がする。
でも、そこまでは、できないよ、私。
だったら諦めるしか、ない。
諦めると決めたら、きっぱり、諦めて決める。
でも、それは明日。
今日はまだ、寂しさに浸っていたい。
だからごめんなさい、オリヴィエ様。
「はー、やっと、見つけましたよ」
声をかけられて、アンジェリークは飛び上がるほど驚いた。
傍らからアンジェリークを見下ろしているのは、ルヴァだった。
「あ、あのー、失礼します」
ぱっと立ち上がって、逃げ出そうとするアンジェリークの腕を、ルヴァががっちりと掴んでいた。意外な反応の速さに、アンジェリークは混乱する。
「また逃げられたら、話も出来ませんからね」
ルヴァは、怒っているようだった。どうして? 私は、怒らせるようなこと、してないよね。
「オリヴィエの拘束から開放してくれたのは、あなたでしょう」
はっとアンジェリークはルヴァを振り仰ぐ。気がついていたの?
「どうして逃げたんですか? 私とは、顔を合わすのも嫌ですか?」
「そういうわけでは……」
その通りですとは言えなくて、アンジェリークは言葉を濁す。
「まあ、私がいけなかったのかもしれませんけど、ね」
そっと、ルヴァが手を放した。
「オリヴィエが言いました。私が身を引く気なら、彼があなたを手に入れる、と。女王になんてしない、自分のものにする、と言われて、頭の中が真っ白になりました。私は、あなたに女王になって欲しいんです」
はっきりと言われて、アンジェリークは身の竦む思いがする。そっと見上げると、ルヴァは真剣な眼差しで彼女を見下ろしていた。
「でも、女王にならないのなら、私の傍に、居て下さい」
「え……?」
アンジェリークは目を見開いた。ルヴァがやさしく微笑んだ。
「あなたを見ていると、私はいつも幸せでした。元気がわいてきて、部屋が明るくなった気がしました。時に人と話すのも面倒になるほど本に夢中になる私が、夢中で読んでいた本から顔を上げて、あなたと話をすることの方を選んでいた。あなたが、執務室に来てくださるのが、楽しみで仕方なかったんですよー。あなたが好きです、アンジェリーク。一緒に降誕祭の星を見てもらえますか? 今年も、来年も、ずっと、一緒に」
「ルヴァ様……私も、私も、好きです、ルヴァ様」
空には星が瞬き始めた。女王陛下の操る、古代の星の映像が、空をゆっくりと動いていく。
ルヴァはアンジェリークの手を取って引き寄せると、そっと、抱きしめた。
アンジェリークはルヴァの胸の中で、くすっと笑う。
ものすごく急展開だったけど、それでも、これって、ラブラブエンディングだよね。
夜の帳が、深く二人を包んで行った。
Fin
2004.3.1.
天瀬まちこ
あとがき
サイトオープンにあたり、「井戸の言葉」完成後に書きました。長編だけあっても困るから、初めて来た人のために、ちょこっと覗ける短編も必要かも、と短編を書くこと自体は最初から決まっていました。井戸の続編としてでも、独立した話としてでも読める、日常のラブラブ話を用意していたのですが、どうにもうまくまとまらず、急遽、こんなものを書きました。
あんまり真面目に書いてません。文章も話も雑です。設定は井戸を引き継ぎましたが、関連性はありませんので、井戸の時間経過と比べてもダメです。
つーか、原稿用紙40枚もある。これって短編?
現在の頭の中が次作のオリヴィエ長編のプロットでぐるぐるしているせいもあるのですが、やっぱり私、オリヴィエを書くのがかなり好きかも。なんかルヴァより目立ってるよね、この話のオリヴィエ。
なかなか全員を出すのはきつくて、数人ははしょってしまいましたが、庭園で6人が集合しているシーンは、今となっては楽しいシーンです。書くときはかなり面倒で投げ出したくなったのですが。
恐らく、アンジェリークに振られた組は、庭園のカフェを貸しきってバカ騒ぎをしていることでしょう。
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