一枚の願い
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涼やかな風が通り抜けると同時に、庭園内のあちこちで、見慣れない飾りがひらひらと揺らめいた。
色とりどりの紙を使って作られたそれは、庭園に不思議な雰囲気を作り出していた。
ピンク、赤、青、黄、四角い紙、長いひも状に断ち切られた飾り、星型、ヒトガタ。
アンジェリークの瞳と同じ、湖水色の色紙もある。
微妙な色合いまでが一致している珍しい紙に目を奪われた次の瞬間だった。
「アンジェリークもお願いを書きに来たの?」
話しかけられて、彼女ははっと我に返り振り返った。
声の主は緑の守護聖のマルセルだった。背中でまとめた長い金髪をさらりと風になびかせて、横に立つ鋼の守護聖ゼフェルと、風の守護聖ランディを振り返る。
「ほら、やっぱりみんな書くんだよ」
「なーんでアンジェリークがいたから『みんな』になるんだよ。おめーが書くのは勝手だけど、いちいち俺を巻き込むなよな」
ぶつぶつと文句を言ったゼフェルだが、アンジェリークの方を見て慌てて付け加える。
「お、おめーも好きな願いごと書けよな。絶対、叶うらしーんだからよ。その、数百年に一度の大チャンスなんだからよ!」
銀の髪をかきながら、もぞもぞと必死で短冊の解説を始めるゼフェルに、アンジェリークは微笑む。
「そうですね。だってオリヴィエ様が叶えてくれるんですもんね」
今日は、七夕祭り。
聖地では数百年に1度しか行われないと言う。
祭りの名前の由来はどこかの惑星の星祭りということだが、この聖地では夢の守護聖が人々の願いを、聖地の住人の「夢」を叶えてくれるお祭りとして行われている。
「そ、そう、そう。だからよ、おめーが書くのは自由であって、俺が書かないのも自由であって、俺が何書こうといーわけだけど、俺は、絶対書かねーって決めてるだけで。だーっ、女王にしてくれって書いたって、オリヴィエなら叶えてくれんだろ!」
「まったく……。アンジェリークは七夕祭りの意味なんて、もう知ってるに決まってるだろう。お前だって願い事を書けばいいじゃないか。別に、何書いたかなんて、聞かないよな」
話の区切りがつけられなくなっているゼフェルを見かねて、ランディがアンジェリークに同意を求めるように、空色の瞳を向けて言った。
「はい。レイチェルが教えてくれましたから」
何故、七夕祭りが聖地で数百年に一度行われるのか。何故数百年に1度「しか」行われないのか。
王立研究院のエリート研究生で、現在アンジェリークと共に女王候補として女王試験を受けているレイチェルが、数日前、急に大声で言ったのだ。
「七夕祭りが行われるんだってー! すごいことだよね!!」
きょとんとするアンジェリークに、レイチェルは呆れ顔で説明してくれた。
「あんたってば七夕祭りも知らないの? 聖地の珍しいお祭りでねー、どんな願いでも1つだけ、絶対叶うんだって。それにね、それにね」
ぐい、とレイチェルはアンジェリークを覗き込んで真剣な表情で言った。
「このお祭り、『宇宙が生まれる日』を祝うお祭りなんだよ。私たちの今の状況にぴったりだよね」
アンジェリークとレイチェルは、虚無の空間に生まれた新宇宙を育成し、新宇宙の女王の座を争っていた。今まさに七夕祭りが行われるのは、とても自然なことのように思われた。だが実は、試験が終わり新宇宙の安定が確認できるまでは、と祭りの日程を遅らせていたらしい。
それが急に試験終了前に行われることとなったのだ。
その理由は、アンジェリークにも、レイチェルにも、知らされてはいない。
もう女王が決まるということなのか。
アンジェリークとレイチェルの育成した惑星の数は拮抗している。
まだ、結果は、出ていない。
「あそこで短冊をもらうみたいだよ」
マルセルが公園の一角を指差した。
そこにはテーブルと椅子が置かれて即席の受付が作られ、訪れる人に紙とペンを配っていた。
マルセルに先導されるように4人は受付まで行き、色とりどりの短冊と出会う。
「僕たちも願い事を書きにきたんですけど」
受け付けの女性は、にっこりと微笑んだ。
「どれでも好きな紙を選んで書いて下さい。願い事と、必ず、名前も書いて下さいね。それをこの公園の好きな場所の木の枝に結びつけるんです」
「ふーん。名前も書くんだ。――ゼフェルはやっぱり書かないの?」
ちょっと心配そうに、でもちょっとからかうように、マルセルはゼフェルに言う。
ゼフェルは答えず、さっと赤色の紙を取った。そのままふいっと公園の奥へ消えてしまう。
きっと、一人で願い事を書くのだろう。見送る3人も、あえて引き止めなかった。
「ボクはこのグリーンの紙にしようかな」
「俺はやっぱり青がいいかな。あ、この空色、綺麗だよな。アンジェリークは気に入った色、あったかい?」
「えっと……」
アンジェリークは答えにつまった。
さっき、確かに自分の瞳と同じ色の短冊が揺れているのを見た気がした。
だが、ここにはそんな色の紙は見当たらない。普通のグリーンなら何種類か用意されているが、アンジェリークの瞳のような、緑がかった透明なブルーの紙はなかった。見間違い、だったのだろうか。
「あの、紙の色は他にないんですか」
「そうですね。ここには全て出ていますよ。全部で50色は用意されているはずですけど、気に入りませんか?」
「あ、いいえ! そうじゃなくて」
困ったように聞き返す受付の女性に、アンジェリークは慌ててかぶりを振る。
「じゃあ、これにします」
咄嗟に手に取ったのが、さくら色の紙だった。
反射的にある人物を思い出してしまい、アンジェリークはひっそりと頬を染める。
ピンク色とも薄紫ともつかない淡く光るようなベールを執務用の衣装として身に纏う、聖地一、華やかな守護聖。最初はその奇抜さと押しの強さに圧倒されたが、やがて彼の細やかな気配りに気が付くにつれ、尊敬するようになった。
そう、尊敬、している。
自分自身をしっかりと持ち、独走しているように見えながら、その実、周囲への配慮は徹底している。あれが、彼なりの協調性なのだろう。首座の守護聖ジュリアスに睨まれながらも、オリヴィエは1つの調和の一点としてしっかりとしたポジションを確率している。女王候補として、頼りないと言われがちで、なかなか守護聖とも打ち解けきれずにいたアンジェリークは、いつの間にか彼に魅せられ、強く、憧れるようになった。
彼のように周囲をきちんと気遣うことができる、強い女性になりたい。強い、女王に。彼が望むような、最高の女王に。
「うーん。何をお願いしようかなあ」
マルセルが眉間に皺を寄せて天を仰いでいた。
「なんだ、まだ決めてなかったのか、マルセルは。あんなに張り切っていたくせに」
ランディが笑って言う。
「だって、ひとつだけでしょ。なかなか決められなくて」
肩を竦めるマルセルに、ランディが大きく頷く。
「そうだよなあ。どうせなら願いを全部叶えてくれればいいのにさ。オリヴィエ様も案外ケチだよな」
「そういう問題じゃねーだろーが。決めたのはオリヴィエじゃねーっつーの」
いつの間に戻ってきたのか、ゼフェルがランディの手元を覗き込みながら、馬鹿にするように言った。
「ふーん、おめーの願いは、『オスカー様に勝てますように』か」
「あ、こら読むなよ! 自分の願い事は内緒にしたくせに」
「おめーは内緒にする気がねーからココで書いてんだろ。名前も書くんだから、誰でも読めるしな」
「そういうことなら、お前の短冊も探し出してやるからな」
「お、見つけられるもんなら見つけてみろよ」
「ちょっとやめなよ。僕もアンジェリークも、落ち着いてお願い事を書けないでしょう」
マルセルがぴしゃりと言い放った。お互いを睨めつけるように見ていたゼフェルとランディがはたと表情を変えて振り返る。
「そ、そうだな、アンジェリークの願い事は大事なことだし」
「あー、悪い。アンジェリーク、ちゃんと、好きな事願えよな」
一斉に視線が集中し、アンジェリークは戸惑う。
この視線。ここ数日ずっと浴びせられてきたから分かる。
みんな彼女が短冊に「女王になれますように」とか、「新宇宙が立派に育ちますように」とか、そんなことを書くと決め付けているふしがある。その願いは、確かに彼女の中にある願いではあるのだが。
「あの……なんでも、いいんですよね」
「そうそう」
「そうそう」
馬鹿みたいに二人で繰り返し、じろりとまた睨み合うゼフェルとランディ。
くすっと笑って、アンジェリークは二人に背を向けた。
テーブルに紙を置き、ペンを握る。
そして書いた。
『オリヴィエ様の夢が叶いますように――アンジェリーク・コレット』
それは2日前、オリヴィエの執務室へ行った時のことだった。
「お前は本当に、事の重大性を理解しているのか!?」
ジュリアスの怒りを秘めたうなり声が、オリヴィエの執務室の扉の向こうから聞こえてきたのだ。
「あの、本当に、入っていいんですか?」
扉の前で、オリヴィエの秘書官を振り返ってアンジェリークはおずおずと聞き返した。基本的に、守護聖に用のある者はこの控えの間で秘書官に面会を申し込み、許可が出ると入室する。他に来客がある場合は、控えの間で待つこともある。先ほど聞こえたジュリアスの言葉の様子では、まだ話は終わりそうにないように思うのだが。
「ジュリアス様の用事が済むまで、待っていてもいいんですけど」
「オリヴィエ様は入るように仰いましたので」
さらりと秘書官は言う。ここではオリヴィエの言葉が最優先のルールなのだ。オリヴィエが良いと言ったからには、秘書官にアンジェリークを止める理由はない。
入れと言われたのだから、入らない方が失礼になるかもしれない。
まだ迷いはあったが、そう思い直して、アンジェリークは扉を開けた。
「アンジェリークか、少し待て」
光の守護聖ジュリアスが、射抜くような深い青の瞳を向けて、アンジェリークに言った。薄紅色で統一された夢の守護聖の執務室の壁や天井は、淡くやさしく陽の光を反射する。その華やかだが抑えたきらめきには決して似合わない、輝かしく目を射抜くような金の髪に、曖昧を許さない忠誠の青いローブを翻して、ジュリアスは再度オリヴィエに向き合う。
もちろん、オリヴィエはあからさまに机を叩いて怒った表情を浮かべる。
「ちょっとちょっと、ここは私の執務室なんだよ。あんたの用件は分かったから、もう帰っていいよ。私はアンジェリークと話をするからさ」
ぷいっと顔を背けると、彼の耳元で金のイヤリングが上品な音を立てて揺れる。その上に、ふわりと細く淡い金の髪がかかる。顔立ちの美しさでは、光の守護聖とて負けてはいないだろうが、この部屋の光の中に立って一番美しく見えるのはやはりこの部屋の主たるオリヴィエだった。
「お前が私の話を理解したとは、到底思えぬ」
再び、ジュリアスが腹の底からしぼり出すような声で言った。
「先の夢の守護聖がこの祭りを執り行った時でさえ、もっと前準備をしたものだ。あの者も、決してゆとりをもって行動するタイプではなかったが、お前ほど気を緩めてはいなかったぞ」
「そ、れ、は、先代の話でしょ。私は私なんだから、私なりにやらせてもらうよ」
『オリヴィエ様、ルヴァ様がお見えになっていますが』
スピーカーからの言葉に、オリヴィエは即座に答える。
「入れていいよ」
「オリヴィエ」
ジュリアスの声が更に不機嫌になる。
扉が開いて、瞬時に状況を見て取った地の守護聖のルヴァは慌てて踵を返そうとした。だが、その緑のローブの背中にオリヴィエの鋭い声が飛ぶ。
「ルヴァ、用があるならさっさと言ってきな」
「あー、あの、私の用事は急ぎませんし、そのー、先客もいらっしゃることですしー」
「あんたの用事は、この『夢の石』でしょ。急がない用だとは思わないけど」
オリヴィエが取り上げてみせた薄紅色の卵大の石を見て、ジュリアスの表情がいっそう険しくなる。
「そのようなもの、まだお前が持っていたのか」
「だから、今ルヴァに渡すんじゃないのさ」
堂々と言い切って、オリヴィエは無造作に石を箱に放り込み、それをルヴァへ押し付けるように渡した。机を回ってこちら側へ出てきたことで、完全に三竦み、いやアンジェリークを入れて四すくみの状態になる。
「あの、やっぱり私は後で……」
耐え切れずにそう言ったのはアンジェリークだった。守護聖の間には長い年月をかけて築き上げられた信頼がある。同時に、理解しがたい複雑な確執もある。アンジェリークが中途半端に口を出せることではない。そもそも、扉、開けなければよかった、と今更に後悔する。
「アンジェリークが遠慮することないってば」
後ずさる彼女の腕をオリヴィエが捕まえた。
「この場合、最優先されるべきは、女王候補のあんたの用件なんだから」
「それはその通りだが、今は祭りについて……」
「まあまあ、ジュリアス、オリヴィエだって準備はしているんですしー」
どうやら3人がもめているのは、2日後に控えた七夕祭りに関する事らしい。レイチェルの話では、夢の守護聖であるオリヴィエが願いを叶える役割を担うということだったから、それなりに準備が必要なのだろう。
やはり自分は出直そうと思うのだが、しっかり握ったアンジェリークの腕を、オリヴィエは放しそうになかった。
「いーい!」
突然オリヴィエが強い声で言い放った。
「大丈夫だってば。夢の石に力を貯めるのは遅くなっちゃったけど、女王試験への協力で新宇宙へ夢のサクリアを送る方もちゃんとやってるし、最近、現陛下の治めるこっちの宇宙でも夢のサクリアがちょくちょく必要だったけどそっちもちゃんと送ってるし。ジュリアスから回してくる祭りとか通常業務の書類だって、全部ちゃんとこなしてるでしょ。儀式のための衣装だってデザインしたし、演出の打ち合わせも進んでるし、私としては、すっごく働いている方だと思うんだけど」
挑むような目で、オリヴィエはジュリアスを見た。
「それは、そうだが……。だが現実は予定通りに行くとは限らぬ。簡単な打ち合わせでの確認だけでなく、もっと実際的な予行演習を行うべきだと言っているのだ」
「無理なの」
あまりにもきっぱりとオリヴィエが言い切ったので、さすがのジュリアスも続ける言葉がないようだった。
それでも、と気を取り直したように再度口を開きかけたジュリアスの胸に、とんとオリヴィエが指をつきたてた。
「心配御無用。みんなの夢は私がちゃーんと叶えてあげるからさ。ジュリアス、あんたの夢も、ね」
とんとん、とジュリアスの胸の上で指をつく。
「あんただって、夢ぐらいあるでしょ」
ジュリアスが唾を飲む音が派手に響いた。
奇妙な沈黙だった。
ジュリアスはただじっと、オリヴィエの指先を見つめている。
アンジェリークはハラハラしてオリヴィエを見上げたが、彼は落ち着いた顔でジュリアスの反応を見守っていた。
「えー、ジュリアス」
いつもの、場を和ませる声で沈黙を破ったのはルヴァだった。
「あなたの心配は分かりますが、オリヴィエはオリヴィエなりにちゃんとやっていますから、ここは彼に任せましょう。これだけの多忙の中で、彼はよくやっていると思いますよー。ね?」
「……明日、また状況を確認に来る」
かろうじて、そう言うと、ジュリアスは部屋を出て行った。
「あーらら。夢とか願いとか持ち出せば、絶対引き下がると思ったら、本当に効いたね。どうせあいつの願いなんて、『女王陛下の御世が永遠に栄えますように』とかなんとかそんなことのくせに」
ルヴァがふーっとため息をつく。
「そんな意地悪を言うものではありませんよ。ジュリアスにだって、願い事はあるんですから」
「ん? ルヴァ何か知ってるの?」
「あ、あー、えー、私はこれで失礼します。では、アンジェリーク」
そそくさと、ルヴァも部屋を出て行った。
「ま、ジュリアスの願いなんて興味ないけど」
オリヴィエは苦い笑いを浮かべてそう言うと、アンジェリークを振り返った。
「それで、あんたは今日は育成のお願いかな、それとも私とお話の予定?」
「あの」
育成と答える前に、アンジェリークはふと思いついて尋ねた。
「どうして、七夕祭りで願いを叶えるのは、オリヴィエ様なんですか。女王陛下とか、他の守護聖の方の力じゃなくて」
「さーねー。私もよくは知らないんだけど、最初のお祭りからずーっとらしいよ」
さらさらの金の髪をかきあげながら、彼は遠くを見る目でそう言った。
「夢の守護聖が夢を叶えるって言ってもね、実際には私が直接夢を叶えるわけじゃない。でも、この祭りだけは、必ず夢の守護聖が執り行うことになってるの」
アンジェリークが怪訝な顔をするのを見て、笑みを浮かべてオリヴィエは解説を付け加える。
「祭りの当日、私は儀式で夢のサクリアを送る『ふり』はするし、あの夢の石に貯めた夢のサクリアはその日の夜に聖地に放出されるんだ。だから、夢のサクリアを大量に聖地に送ったのと同じような状態になるってわけ。夢のサクリアの力を借りれば、本人の『願い』は確かに叶いやすくなるけど、願いを叶えるのはあくまでも本人次第なんだよね。でもね、確かにこれはちょっとした聖地の住人へのプレゼントだと思うよ」
「プレゼントですか」
アンジェリークが聞き返すとオリヴィエはさらに穏やかに笑った。
「そうそう。守護聖が力を送る姿なんて、普段ぜったい見せないじゃない。だからきっと、守護聖とかサクリアが宇宙と、そして自分たちと繋がっているっていう実感を、聖地の住人にプレゼントするのが目的で始まったんじゃないかと思うんだ。『夢のサクリアの力で、自分の夢が叶う』って響きがいいからねえ」
現実には、個々の夢を叶えるには、全てのサクリアが必要なんだけど、と付け加える。少し俯いたその表情に、アンジェリークは不安をかきたてられた。
「あの、オリヴィエ様、大丈夫ですか」
「ああごめん。疲れた顔でもしてた?」
いつもの弾けるような笑顔に変わったオリヴィエがおどけるように言った。
「そうだね、ちょっと疲れてる、かな。サクリアを使う事は結構、平気なんだ。私だって守護聖だからね。でもそれ以外の仕事が圧倒的に多くてねえ。お祭りが終わったら楽になるだろうし……もう、そんな顔しなくて大丈夫だってば。あんたの願いも、ちゃんと叶えてあげるからね」
ぽんぽん、とオリヴィエはアンジェリークの頭をやさしく叩いて微笑んだ。いつもされているその仕草に、何故か急に恥ずかしさを覚えて、顔を上げないままアンジェリークは聞き返した。
「あの……でも、本当はオリヴィエ様が願いを叶えるわけじゃないって……」
「それがね、なんでかは分かんないんだけど、願いは本当に叶うんだってさ。みんなの願いはね」
そしてすこぶる楽しそうにアンジェリークの顔を覗き込んで、彼は言った。
「頑張ってるあんたに、私から1つプレゼント出来るって思って張り切ってるんだ。――また勉強? もう少し寝た方がいいよ」
そっと、目元を指先で掠められて、アンジェリークは慌てて顔をそむける。
「わ、私は、レイチェルと違ってまだまだ知らないことがたくさんあるから。昨日はちょっと調べ物をしているうちに遅くなっちゃって。今日は、ちゃんと、寝る予定ですから」
「ふふ。別に説教してるわけじゃないよ。寝ないで頑張るほど力を注ぐものがあるのって、いいことだって思うよ。最初はあんたのこと頼りない女王候補だなって思ったけど、今は応援してるから、ね。それで、ひとまず今日のお願いは育成かな」
話をチェンジされて、アンジェリークは言い淀む。
アンジェリークは、ほぼ毎日育成をお願いに来てしまっている。
新宇宙の意志たるアルフォンシアが夢の力を強く望んでいるから。でもそれが、もしかしてオリヴィエの負担の一つになっているのかもしれない。見上げると、オリヴィエの顔にはやはり疲れが見える。
「あの、育成は、今日はいいです。そのー、失礼します」
再びオリヴィエにつかまる前に、アンジェリークはさっと身を引いて扉へとかけよった。
「待っ……」
制止は聞かずに、扉は、閉めた。
そしてふと、気が付いた。
オリヴィエ様の願いは、誰が叶えてくれるのだろう。
オリヴィエの夢のサクリアの力で人々の願いが叶うとしても、その力ではオリヴィエ自身の夢は叶わない。
耳にオリヴィエの声がよみがえった。
『みんなの願いは、ね』
「オリヴィエ様、遅いね」
マルセルが困惑したように呟いた。
宮殿のテラスの下は、聖地の住人たちで埋め尽くされていた。新女王即位や守護聖就任のお披露目にも使われる伝統的な作りのテラスは、オリヴィエの演出により、花と布で美しく飾られている。もちろん、短冊や紐飾りの結ばれた緑の枝もアクセントに飾られ、庭園と同じような七夕祭りらしい雰囲気を出すことも忘れていない。
アンジェリークは、守護聖たちとともに、そのテラスの傍らに控えていた。女王候補として席も用意されているが、マルセルの誘いにより、ランディと3人で、もっとテラス近くまで出てきていた。
だが、予定の時刻になっても、オリヴィエが現れない。
顧みれば、ジュリアスは自分の席でじっと目を閉じて眉間に皺を寄せている。ルヴァは心配そうに、オリヴィエが出てくる筈の扉を確認している。
「僕、ちょっと聞いてくるよ」
さっと踵を返し、マルセルがテラスを離れた。自分もついていきたいという思いを、アンジェリークは押し殺す。ベールのカーテンの影には、女王陛下も既に入場している。あまり騒がしくするわけにはいかなかった。
人々の間を、くるくると行き来していたマルセルが、戻ってくると不思議そうな顔で首を傾げた。
「なんかあったのか」
尋ねるランディに、更に困惑の表情を浮かべて、マルセルは言う。
「あのね、オリヴィエ様、いないんだって」
「え?」
「どういうことですか!」
自分の声の思いがけない大きさにはっとして、アンジェリークは口を押さえる。
マルセルが低めた声で答えた。
「だから、いないんだって。本当は控えの間で衣装の準備とかして、それから星の間で瞑想して、それでこっちへ出てくるって段取りだったらしいんだけど、着替えた途端に、消えちゃったんだって」
「そんな……」
「自分の願いが叶わない儀式なんて、ばっくれちまったんじゃねーの」
それまで、興味なさげに自分の席で寝ているように見えたゼフェルがふいに近づいてきて言った。
はっとしてアンジェリークはゼフェルを見つめる。
やっぱり、オリヴィエ様自身の願いは、このお祭りでは叶わないんだ。
「本来は、新宇宙の女王が新しく生まれた宇宙のパワーを分け合うために始まった儀式なんだろ。夢の力なんて関係ねーじゃねーか。しかも自分の『願い』が叶わねーんじゃ、やる気もでねえよな」
「よく知ってるじゃないか、ゼフェル」
ランディが感心した声を上げる。
「これくらい当然だろ。おめーは相変わらずなーんも考えてねーよな」
ため息まじりにゼフェルは小声で呟いた。
「……まったく、守護聖の仕事ってこんなんばっかだぜ」
その時だった。室内にどよめきが起こり、オリヴィエが廊下側の扉から入ってきた。
「悪いね。ちょっと遅くなっちゃって」
悪びれた風もなくオリヴィエは言う。
彼はいつもの露出の高い衣装とは打って変わって、肌をきっちりと隠した古風なデザインのローブを着ていた。とは言え、袖や裾に薄紅と金を使ったモダンな刺繍が入っていて、借り物ではなく、オリヴィエ自身が誂えた衣装であることを主張していた。宝石類は一切身につけていなかったが、耳元にシンプルな金のイヤリングと、腰に金の鎖を纏わせて、華やかさを失わせてはいない。
「では、始めましょう」
女王補佐官ロザリアの合図で、オリヴィエはテラスに出て行った。
歓声が上がる。
数百年に1度しか行われない七夕祭り。時の流れの異なる守護聖はまだしも、聖地の住人にとって、一生に一度のチャンス。そして守護聖にとっても、長く任についているジュリアスたちを除いては、初めての七夕祭りだった。
歓声に応えて、儀式的に手を振り上げたオリヴィエは、その後くるりとこちらを向いた。女王陛下が、カーテンの陰から現れ、テラスの下からかろうじて見える、という位置に立つ。
そこへ、優雅に歩み寄ったオリヴィエは、恭しく跪いた。ひらりと薄紅色のマントが床に広がる。陛下が告げた。
「夢のサクリアを送ってね」
気さくな金の髪の女王陛下は楽しそうに微笑んでいた。
その言葉を受け、オリヴィエは再び、テラスに立つ。
テラスの一番先、下から良く見えるように設えられた踏み台に上る。
優雅に両手を振り上げると、彼はすっと目を閉じた。
集まった観衆がしんと静まっていた。
風がオリヴィエの髪をなびかせる。衣装の裾とマントが翻って、まるで空に抱き上げられるように夢の守護聖は風に包まれる。
それは、今まで見たことのないオリヴィエだった。
サクリアを使う儀式は『ふり』をするだけだと言っていた。この場でサクリアを実際に使うことは、さすがに無理なのだろう。だが目の前のオリヴィエのまわりには、夢のサクリアが見えるようだった。
日頃はおちゃらけているようでいて、その真は誠実なオリヴィエらしい姿だった。聖地の人々へのプレゼント。彼は、そう言った。星の間でサクリアを送っている姿を、オリヴィエは今、忠実に再現しようとしている。
アンジェリークは全てを見届けようと手を握り締め、深く息を吸った。
オリヴィエ様の夢が叶いますように。
いつも助けてもらってばかりだから。この方の夢こそが、叶いますように。
自分の胸の奥にも、夢のサクリアを感じるような気がした。オリヴィエから空へ、空からアンジェリークへ。この胸の中の暖かい光の正体が何であれ、彼の夢が叶えばそれでいい。これが、何かの力になるのなら。
ゆっくりとオリヴィエが目を開いた。やさしい力が、彼を取り巻いているのが、はっきりと感じられた。そして、オリヴィエが手を下ろした時、再びどっと歓声があたりを包んだ。夢の守護聖と女王陛下を称える声が次々と沸き起こった。
にこやかに手を振る姿は、すっかりいつものオリヴィエだ。
熱狂が少し収まるのを待って、オリヴィエは台を降りた。そのまま、女王陛下の元へ再度挨拶に行くのが儀式の流れの筈だったのだが。
彼はアンジェリークを見ていた。
気のせいではない。アンジェリークだけを、見ている。その姿が、どんどん近くなる。彼がアンジェリークに向かって歩いているからだ。次の瞬間、アンジェリークは腕を取って引き寄せられていた。
「あの……オリヴィエ様……」
呆然とするアンジェリークを、更に引き寄せると、あっと思う間にオリヴィエはアンジェリークをしっかりとその腕の中に抱きしめていた。
「オ、オリヴィエ、様……」
パニック状態のアンジェリークの耳に、オリヴィエの声が届いた。
「だってあんたが願ってくれたから」
アンジェリークの願い。オリヴィエの夢が叶うように、そう短冊に書いた。そう書いたけど。
「あんたってば今、私に向かってすごい大量の女王のサクリアを送ったくせに、自覚がないの? こんなすごい女の子、絶対女王にしてあげなきゃって思ってたんだけど」
アンジェリークを抱きしめる腕に力をこめると、オリヴィエが言った。
「あんたの願い通り――私の夢……叶えさせてもらうよ」
するりとオリヴィエが腕をほどいた。暗青色の瞳に見つめられて、アンジェリークは頭の中が真っ白になる。
これってどういう状況?
オリヴィエの中性的な整った顔。その中でもひときわキリリと凛々しい暗青色の瞳。この瞳が微笑んでいると、いつも安心した。不安なものを全て引き受けてくれる、強くてやさしい、大好きな瞳。
オリヴィエはうやうやしくアンジェリークの手を取ると言った。
「愛してるよ、アンジェリーク。私のために、女王候補なんてやめてくれる? こっちの宇宙に、私とずーっと一緒にいてよ」
真剣な顔で、笑みひとつ浮かべずに言い切った。答えを待つように、彼は沈黙する。薄紅色のローブによく映える暗青色の瞳をアンジェリークに向けたまま。
たしかに、公園や、森の湖を二人っきりで散策したこともあった。だけど、それは女王候補としてだ。日常の毎日は、「お話」をたっぷりする余裕のあるレイチェルと違って、育成の話ばかりして、育成の依頼ばかりしていたアンジェリーク。サクリアの解説をしてくれたり、的確な育成のアドバイスをしてくれたオリヴィエ。それは、守護聖としてだと、ただそれだけだと、思おうとしてきたのに。
何が起こっているのか分からない。そう思っているのに、アンジェリークの口はたった一つの答えを既に呟いていた。
「はい、オリヴィエ様」
「ちょ、ちょっとアンジェリーク……」
あっけに取られたレイチェルの声が耳に入った。
「私、オリヴィエ様と一緒にいたいです」
力強く、言い切っていた。にこっと、オリヴィエがいつものやさしい笑みを浮かべた。振り返って彼は言った。
「てーことなんだけど、陛下、お許しもらえるかな」
視線の先には女王陛下。笑顔で見返していた。
「もちろんよ、オリヴィエ。――ね、うまくいったでしょ、ロザリア」
はしゃいだ声で傍らの女王補佐官を振り返ると、ロザリアは多少厳めしい顔で咳払いした。
「現時点の新宇宙の育成状況を考えますと、自動的にレイチェルが女王ということになりますけれど、レイチェル、それでいいかしら」
「は、はい! えーっと、びっくりしたなあ、もう、アンジェリークってば。みなさまに認めていただけるなら、私は女王として頑張って新宇宙を導いていきたいと思います。アンジェリーク、しあわせにね」
「ありがとう……レイチェル」
かけよって御礼を言おうとしたアンジェリークを、すっとオリヴィエが押し止めた。
「ごめんね。まだ儀式が終了してないから」
そう言って、彼は再び優雅に女王陛下の前に跪くと、静かに告げた。
「聖地に夢のサクリアを送りました」
「ごくろうさま、オリヴィエ」
女王陛下はそれで退室となった。名残惜しそうではあったが。
後に残った守護聖たち、アンジェリークと、レイチェル、協力者たち。
「おめでとうアンジェリーク!」
どっと声が上がった。
「ちょっと、寄り道して行かない?」
守護聖たちと簡単なパーティーをして大騒ぎをした後、女王候補寮へオリヴィエが送ってくれることになり、やっと二人きりになった夜道。オリヴィエが身振りで横道を示した。
たどった先は、公園だった。今は、星空の下、七夕祭りの飾りつけもライトアップされ、昼間とは違う美しさで公園を彩っていた。夜店も出ていて、人々がそれぞれに楽しんでいる。だが、道行く人はオリヴィエに気がつくと、いつも以上の丁寧な礼を取った。
「これ、私の短冊なんだ」
「あ!」
彼が手に取った1枚の短冊。それは昼間アンジェリークが目の錯覚かと思った、湖水色の紙の短冊だった。
その短冊は、白紙。何の願い事も書かれてはいない。まるで、ただの飾りの一枚のように、風に揺れている。
「夢の守護聖に伝わる、七夕祭りの作法の中に1つの厳命があるんだ。夢の守護聖の願いは、この祭りでは叶わない。けれど祭りを執り行う夢の守護聖は、必ず自分の願い事も短冊に書くこと……てね」
「え……」
アンジェリークはもう一度短冊を確かめる。やはり何も書いてはいない。
オリヴィエは短冊から手を離さずに、ちょっと肩をすくめてみせた。
「うん、書けなかったんだよね。自分の気持ちを思い知らされたって感じ。私ってさ、自分の夢とか願いとかに、嘘はつけないんだ。だからあんたには幸せになって欲しいと思ったし、女王にならせてあげたいとは思ったんだけど。思いつく言葉はたった一つだったんだ」
オリヴィエは、まっすぐにアンジェリークに向き直ると、テラスでの告白の時以上の真剣な瞳で言った。
「『アンジェリークを愛してる』」
そしてくすっと笑う。
「こうなるともう、願いじゃないよね。で、とりあえず、何も書かないで短冊だけ飾ったの。たった一枚だけ用意させた、あんたの瞳と同じ色の紙」
更にくすくすっと笑うと、オリヴィエはアンジェリークを抱き寄せた。アンジェリークが、真っ赤になって俯いていたからだ。
「まだまだ。最後までちゃんと聞いてくれなきゃ。今日のあんたの願いでもあるんだから」
そして、そのままアンジェリークの耳元に続きが語られる。
「それで、儀式の前に確認に来たんだ。あんたがどんな願いを書いているのかと思ってさ。どうしても、知りたくて。あんたの願いなら、絶対叶えてあげたかったし、それが女王になりたいだったら守護聖として力を尽くそうと思ったし、他の男のことが書いてあったらそれを応援しようと思った。私の気持ちにも、何かの区切りがつくだろうって思った。そしたらあんたってば――」
抱きしめる腕の力を強めてオリヴィエが興奮を抑えるような声で言った。
「私の事書いてるんだもん。もうダメだった。まったく、あんたって、ほんと、そういうコだよね。何でも絶対1つ願いが叶うって時に、人の幸せを書いちゃうようなコ。私にはできなかったのに。――相手の幸せだけを願う言葉が、そこに書いてあるんだもん」
「あ、あれはただ、オリヴィエ様の願いだけが叶わないって聞いたから……」
「じゃあ、あれは同情? さっきのOKはなりゆき」
すっとオリヴィエが腕をゆるめて尋ねる。
「そ、そうじゃないですけど!」
「じゃあ今度は私の番。なんで、私にOKくれたの」
見上げると、星明りに彩られた美しい顔は微笑んでいた。抱きしめるような笑顔があるとしたら、きっとこれだ。この笑顔がいつもの社交的な笑顔の下にずっと隠されていたこと、何となく、分かっていたような気がする。
今更ながら夢の守護聖の美しさに見とれるアンジェリークを、オリヴィエは微笑んだまま待ち続けていた。
だから、アンジェリークは言った。
「オリヴィエ様」
見つめ返す暗青色の瞳が、不安を払ってくれた。
「好きです」
綺麗な夢が、彼女を包んだ。
Fin
2004.7.26.
天瀬まちこ
あとがき
書けないといつも不平を言っている短編に挑戦してみました。
小心者で文章を読むのが遅い私は、お気に入りのサイト様へこっそり遊びに行ってだらだらと読み続けていることがあります。特に長編が面白いサイト様がお気に入りなんだけど、やっぱり日によってはかったるくて面倒な気分だからそのサイトの中でも短編を選んで読む、ということも多い。
短編の恩恵に与っているからには、短編を書かねば、と頑張って挑戦してみました。
発想時に既に七夕は過ぎていましたが、七夕をテーマに着想。構想2日、お相手は誰でも良かったのですが、長編執筆中ということで、集中力を途切らせたくないのでオリヴィエに決定。執筆は2日ほどで完成予定……だったのが1週間ほど書く時間がなく、書き始めてからも間隔が空いたりと、一気に書き上げられませんでした。その分、今までの短編と違い、しつこく読み直してますが、変わりに何が言いたいのかで迷ってしまった面も。決め描写を入れる位置もびしっとはまらなくて、しまりが足りないかなあというのが自分の反省。短編は勢いが大事ですね。
まあ、短編と言っても、原稿用紙42枚もあるんですけど。
友人に、色が作中に出てくるのが個性だね、と言われて喜んでいた直後で、それでもこの話には色が入る予定はなかったのですが、いつの間にか色とりどりになっていました。今までも無意識だったので、無意図的なんですが。だからこそ個性でもあり、癖なのでしょう。今回あまり細やかに入れてませんが、色の取り入れ方はなかなか良いということなので、次はもっともっと色を感じさせる表現に磨きをかけたいと思います。
それにつけても、オリヴィエ様好きだなあ。
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